池袋暴走事故 現場の“慰霊碑”に込められた願い(2020年10月8日)

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去年4月、東京・池袋で車を暴走させて母子をはね、死亡させた罪などに問われている飯塚幸三被告(89)の初公判が開かれ、被告は無罪を主張しました。東京・豊島区東池袋から、8日に一日取材を続けている渡辺宜嗣さんによる報告です。

 (渡辺宜嗣さん報告)
 1年半前に事故が起きた東京・豊島区東池袋の事故現場に立ちました。この地に今年の7月ですが、慰霊碑が立てられました。この球体は日常を表現しています。少しくぼんだ部分がありますが、これは突然、日常を襲った事故をイメージしているそうです。きょうのように雨が降ると雨水がこのくぼみにたまります。そして、したたり落ちていきます。この雨粒は被害者の悲しみの涙を表しています。でも、その涙が地面に染み込んでいく。そのことによって、これから将来にわたって交通事故ゼロの未来へ向かうという、そういった希望のしずく、希望の種になってほしいという思いが込められている慰霊碑です。最愛の妻と娘を奪われた松永さんは事故直後約1カ月にわたり、ほぼ毎日のようにこの場所を訪れて当時あったベンチに座り、この交差点を眺めながらこれから自分は一体どうやって生きていけばいいんだろうか。どうしたら、少しでも交通事故を減らすことができるんだろうか。そのことを自ら問い掛けていたそうです。事故の裁判が始まりました。あの事故が私たちが暮らす社会に投げ掛けたものは何だったんでしょうか。その1つは高齢者による車の運転の危険性についてです。足腰も弱くなる高齢者にとっては、車は必要な移動手段ではあります。しかし、個人差はありますが、年齢とともに動体視力も衰えていきます。とっさの判断力もとっさの対応力も確実に落ちていきます。あの時、この被告がアクセルとブレーキを踏み間違えたのではないか。本当に車がそのまま走っていってしまったのかどうか。これは裁判で明らかにされると思いますが、私がきょう、89歳になった飯塚被告を垣間見た時、東京地裁に1人でタクシーに乗って後部座席に座り、背中を丸めながら下を見ながら到着した様子は本当に弱々しい人物でした。この人物が事故を起こしたのか、この人物がハンドルを握っていたのかという思いを強くしました。法廷の中には車椅子で入ってきたようです。被告は車の何らかの異常の発生によって暴走したという主張をしましたが、この言葉は被害者の心には届かないと思います。むしろ、この事故にきちんと向き合っているのかどうか、貴重な命が奪われたことをきちんと捉えているのか。そのことに対する疑念を松永さんには抱かせました。真実はこれから行われる裁判によって明らかになると思います。そのことと同時にもう1つ、私がきょう思ったのは私たちは毎日、ハンドルを握っています。ひとたび、交通事故が起きた時にこのようなことが二度と繰り返されないために何をしたらいいか、どういう気持ちでハンドルを握ったらいいのか。改めて問い直す一日になったと思っています。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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