GHQに潰されかけた⁉️本醸造醤油‼️








本醸造醤油を守った人たち 


調味料に関する歴史を学んでいると、

知らなかったことがたくさんあって

驚かされることばかりです。


特に戦中〜戦後の激動の時代にあっては、

原材料が手に入らないという過酷な状況の中、

伝統を守ろうと必死に奔走した方々が

いらっしゃいました。


先人たちが必死に守ってきた

醤油や味噌といった日本の伝統調味料。


悲しいことに、近年の日本における

醤油の状況は、出荷量、一世帯当たりの

年間購入金額、さらには製造業者数の

いずれも右肩下がりとなっていますダウン


一方で、世界的な日本食ブームに伴い、

海外での評価は高まり、醤油や味噌など

日本の調味料の海外需要は右肩上がりに

増えているという矛盾あせる


身近にある宝物には気付きづらい

というのはよくある話ですよね汗


私たち日本人は、今一度自国の素晴らしい

食文化を見直すべきなのではないでしょうか?



さて、本日の記事のタイトルを見て、

思わず "出た!!陰謀論 " と言いたくなった人も

いらっしゃるかもしれませんが、、、


これは陰謀論なんかじゃありませんビックリマーク


史実のひとつとして、こんな歴史があったことを

一人でも多くの人に知っていただきたいおーっ!あせる


歴史を知れば、醤油に対する見方も

変わってくると思いますよ


参考記事はこちらです。


以下、貼り付け。





混合方式・混合醸造方式に対して、
昔ながらの製法で作られているのが
本醸造方式です。

昔は本醸造で作られるのが
当たり前だったお醤油。

その製法に変化が生まれたのは、
物資が不足していた戦中でした。
物資不足が故、変化せざるを得なかった
といった方がいいかもしれませんね。

記事にあるアミノ酸液とは
たん白加水分解の別名です。
主に液体の場合に、アミノ酸液と呼ばれます。

<参考記事>


こんな昔からあったんかいあせる

驚いた人もいたのではないでしょうか?

私もその一人です。


物資が圧倒的に不足していた戦中において、

アミノ酸液を使ったいわゆる "代用醤油" が

市場に出回りました。


これは加水分解法でつくったアミノ酸液に

塩水やカラメル色素などを混ぜて、見た目や

味を "醤油っぽく仕上げたもの" になります。


別の言い方をすると、それは、発酵を経ない
化学的な製法で作られた調味料でした。


また、脱脂加工大豆が醤油に使われ始めたのも
戦中(1940年代前半〜)だったようです。

大豆の供給不足や食糧統制の影響により、
従来の丸大豆に代わって脱脂加工大豆が
原料とされるようになったみたいです。


続きです。



この話、皆さんご存知でしたか?
私は調味料講座を受講して初めて知りました。

戦後、日本を支配したGHQはさまざまな
経済政策や物資の配分管理を行っていました。

その中には、大豆製品や脱脂加工大豆など
食料や加工食品の原材料配分も含まれて
いたのです。

この時期の政策が元となり、日本の食品業界では
脱脂大豆がさまざまな加工食品に使われるように
なりました。つまり、日本の食文化に一定の
影響を与えたということです。
国産丸大豆の使用が減り、脱脂大豆中心の食文化が形成されたetc.


以下は参考記事の内容と被りますが、
より詳しく解説しておきます。

GHQは戦後日本の食糧事情を改善するために、
アメリカからの援助物資として脱脂大豆を
供給しました。

素直な視点からだと脱脂大豆はたんぱく質豊富な
ものだから、、と考えられますが、陰謀論的視点からすると、
アメリカの余剰農産物の一つだった脱脂大豆を日本に
売りつける道筋を作りたかったからでは?
とも取れますよね?小麦や牛乳と同じくです。。
えっ!?考えすぎですかねえー?あせる

この配分をアミノ酸業界80%、醸造醤油業界20%
と決めたのは、GHQ経済科学局のブランシェ・
アップルトン博士でした。

アップルトン博士は、製造効率やカロリー供給を
重要視し、伝統的な製造法よりも短期間で
大量生産が可能なアミノ酸液製造を優先したのです。

GHQの意向としては、効率よく栄養を確保できる
方法、そして近代的な食品加工に重きをおいて
いたということが分かります。アメリカ的な合理主義・
効率主義的な思想を日本に植え付けたかったということ
なのでしょう。あっこれは私の独り言ですあせる

しかしながら、この配分方針に日本の醤油業界は
強く反発しましたパンチ!

伝統的な醤油の製法は、日本の食文化に深く
根ざしています。GHQの方針が採用されれば
その存続が危ぶまれる状況になるビックリマーク

当時の日本人は食文化がその民族にとってどれほど
重要なものであるか、肌感覚として理解していた
ということですよね。

そのような危機感を抱いた醤油会社の代表者等は、
アップルトン博士に対し、日本人の味覚や文化を
尊重し、醤油製造への脱脂加工大豆の供給を
増やすよう懇願しました。

その中心的役割を果たしたのが、
現在のキッコーマンでした。


続きです。




キッコーマン(当時は野田醤油)の技術者さんたち、

カッコ良すぎですよね!!


同業他社に対して、無償で技術指導や情報提供を

行うなんて、今の時代ではとても考えられない

ことだと思います。


でも、この精神こそ『THE 日本人』だと

思いませんか?


当時の野田醤油の技術者さんたちは、

「醤油は日本の食文化の根幹であり、業界全体が

生き残らなければ意味がない」という理念の元、

こうした判断に至ったそうですキラキラ


キッコーマン(野田醤油)の技術者たちは、

自ら編み出した製法をGHQに直接説明し、

実際に醤油の試作品を彼等に試飲させた

といわれています。


その結果、アップルトン博士らGHQ担当者は

認識を改め、配分比率を醸造醤油業界70%、

アミノ酸業界30%に変更したのですアップ


この配分比率に変更されたことで、伝統的な

醤油製法の存続が可能となりましたキラキラ


もし、この当時の醤油業界の人たちが死ぬ気で

頑張っていなかったら、そして、野田醤油の

技術者が特許を独占してしまい、日本の醤油業界が

一丸となって戦っていなかったら、、、


日本の伝統的製法の醤油は

失われていたかもしれません。


……そう考えると、当時の野田醤油の技術者の

方々には、深々と頭を下げたくなりますよね。


先人たちの頑張りに、涙が出そうになります。



そして、アミノ酸液や脱脂加工大豆などが

醤油製造に導入された背景についても

深く理解できたのではないでしょうか?


まだまだ知らないことだらけだなぁと

思うと同時に、戦中〜戦後にかけて

色んなものが変わっていったんだなぁと

何だか少し切なくなりました。


そして、改めて日本という国は、

敗戦国なんだなぁと思い知らされた気分ですぐすん


何はともあれ、今もなお伝統製法を守り、

日本の食文化の根幹を支える醤油を

作り続けている製造業者さんたちが

いらっしゃいますあせる


私たちにできることは

買って応援することです!!


買い物は投票だぁおーっ!アップ


日本の伝統食文化を、微力ながら

支えていけるよう頑張りましょう。



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