「ラジオをやろう」。これが、社長の井深が出した答えであった。
「トランジスタを作るからには、広く誰もが買える大衆製品を狙わなくては意味がない。それは、ラジオだ。難しくても最初からラジオを狙おうじゃないか」
まだ、アメリカでも補聴器くらいにしか使えない、低い周波数のトランジスタしか作られていないのだ。これは、大胆な発想だった。しかし、井深は強気だ。
「大丈夫だ、必ずラジオ用のものができるよ」。この言葉で、東京通信工業(ソニーの前身、以下東通工)の技術者たちの挑戦が始まった。
(省略)
全文
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-05.html
『ソニーを創ったもうひとりの男 岩間和夫』第4章より
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