令和3年1月5日 朝のお勤め @長安寺

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令和3年1月5日 朝のお勤め『礼讃・阿弥陀如来』『法然上人御法語前篇第五章・選択本願』
【香偈】願我身浄如香炉 〔願わくは私の身が香炉のように清らかであり〕願我心如智慧火 〔私の心が智慧の火のようでありますように。〕念念梵焼戒定香 〔日々戒律を守り、心を平静に保つための香を焚き〕供養十方三世仏〔過去・現在・未来のあらゆる仏さまを供養いたします。〕【三宝礼】一心敬礼十方法界常住仏 一心敬礼十方法界常住...

【誦経】
仏説無量寿経巻上 四誓偈

【礼讃】
三尊礼(阿弥陀如来)

南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
(心より帰命して西方の阿弥陀仏を礼拝いたします。)

弥陀身色如金山 相好光明照十方
(阿弥陀仏のお身体は金の山のようであり、そのお身体から放たれる光明はあらゆる世界を照らして下さいます。)

唯有念仏蒙光摂 当知本願最為強
(ただ、その救いにあずかろうとお念仏を称える者のみが、その光明に照らされるのです。ですから、阿弥陀仏の本願こそが最も勝れたものであることを知るべきです。)

六方如来舒舌証 専称名号至西方
(あらゆる世界のみ仏は広く長い舌をお出しになり、「ひたすら阿弥陀仏のお名号を称えるならば、西方にある極楽浄土に至ることができる」と証明されています。)

到彼華開聞妙法 十地願行自然彰
(蓮の華が開くと同時にその台に生まれ出て、有り難い仏の教えを自然に聞くことができて、十地という菩薩の境地に至り、その境地の願と行との功徳が自然に具わってきます。)

願共諸衆生 往生安楽国
(皆もろともに安楽なる極楽浄土に生まれたいと願いましょう。)

【法然上人ご法語】
前篇 第5章 選択本願(勅伝第二十五巻)
〔凡夫が念仏で往生できるという教えは
阿弥陀仏が法蔵菩薩であったときに立てられた本願に基づく。〕

本願というは、阿弥陀仏のいまだ仏にならせ給わざりし昔、法蔵菩薩と申しし古(いにしえ)、仏の国土を清め、衆生を成就せんがために、世自在王如来(せじざいおうにょらい)と申す仏の御前(みまえ)にして四十八願を起こし給いしその中に、一切衆生の往生のために一つの願を起こし給えり。
これを念仏往生の本願と申すなり。

すなわち無量寿経の上巻に曰く、
「設(も)し我仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、若し生ぜずば正覚を取らじ」
と。

善導和尚、この願を釈して宣(のたま)わく、
「若し我成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること、下(しも)十声に至るまで、若し生ぜずば正覚を取らじ。
彼(か)の仏、今現に世に在(ましま)して成仏し給えり。
正に知るべし。
本誓の重願虚しからざることを。
衆生称念すれば必ず往生を得」
と。

念仏というは、仏の法身(ほっしん)を憶念するにもあらず、仏の相好(そうごう)を観念するにもあらず、ただ心をいたして、専(もは)ら阿弥陀仏の名号を称念する、これを念仏とは申すなり。
故に「称我名号(しょうがみょうごう)」というなり。

念仏の外の一切の行は、これ弥陀の本願にあらざるが故に、たとえめでたき行なりといえども、念仏には及ばざるなり。

大方、その国に生まれんと思わん者は、その仏の誓いに従うべきなり。
されば、弥陀の浄土に生まれんと思わん者は、弥陀の誓願に従うべきなり。

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